ガラメキ温泉「あの看板」の謎
秘湯・ガラメキ温泉を守る人たちがいる。
それはガラメキ温泉を訪れたことがある人なら誰しもが気がつくことだ。ガラメキ温泉の入り口付近に掲げられた立派な看板とそこに書かれた『相満山史跡研究同好会』という名前。
ここは施設もない山奥の野湯である。野湯にこんな看板があるということは普通はなく、非常に珍しい例だ。看板は古そうではあるが、かといって何十年も前のものではさなそう。しかし、ネット上にはこの会にまつわる情報は全くないのだ。ここを訪れた人が看板を見て皆が不思議に思っている。一体どういう会で今も存在しているのだろうか。
今回はこの『相満山史跡研究同好会』の方と奇跡的に会うことができ、お話を聞くことができたので、その報告です。
↓【初めてガラメキ温泉を訪れた2019年のレポートはこちら】↓
ガラメキ温泉の看板が十数年ぶりに掛け替えられる!
時は2021年にさかのぼる。
ツナノさんから『相満山史跡研究同好会』の関係者らしい方がインスタにいると教えてもらった。ツナノさんとは野湯を通じてSNSで知り合ったのだが、僕と同じような時期にガラメキを訪れて以来、定期的に訪れて整備をされている。教えてもらったアカウントを見ると、あの看板の掛け替えを会で予定している、と!そして新しい看板の写真も添えられていた。
まだ会が実存しているばかりか、看板の掛け替えというまさかの行事が行われようとしている。ガラメキを訪れる者なら誰もが名前を知っているが姿は誰も知らないあの会。こんなチャンスはない。
「ちょっと連絡をとってみます」
情報を教えてくれたツナノさんにそう伝えて、会の一員と思われる方に連絡を取ってみた。その掛け替えの場に立ち合わせて頂くことは可能でしょうか、と。すると…
『会長に伝えたところ「掛け替え式に是非来てください」とおっしゃっています。』
インターネットの力が今昔のガラメキ好きを繋げた。こうして看板の掛け替えに立ち会わせて頂くことになったのである。
…が。時は2021年7月。コロナ感染者が再び増加し東京は”まん防”から再び緊急事態宣言下に。マイカーでの移動ならともかく、僕は感染者の多い東京からで公共交通機関移動なこともあり参加は断念することに!(そもそも掛け替えは5月の予定だったがコロナの影響で延期された先が7月だった)
ウソでしょ。。。
こうして看板の掛け替えに立ち会うのはツナノさんにお任せし、僕は写真でその様子を教えていただくことになった。しかし、せっかくの貴重な機会をみすみす逃すのは切ない。そう思い、ようやく東京の感染者数も落ち着いてきたその冬、会長とともに改めて二人でガラメキ温泉へと行かせて頂いたのだ!
「相満山史跡研究同好会」会長と行くガラメキ温泉
それではそこでお話させて頂いた内容をざっくり書いていこう。まず最大の謎である「相満山史跡研究同好会」とは一体どんな会なのか?
それは「陸上自衛隊 相馬原駐屯地の中で作られた文化部の1つ」である。
自衛隊!?
すごい意外な答えなんですけど!つまり、相満山史跡研究同好会の会員の皆様は今は引退されているが元自衛隊員。会長も当然、元自衛隊員である。
確かにガラメキ温泉と相馬原駐屯地とは関わりがある。元々、ガラメキ温泉には温泉旅館が存在し賑わっていたらしいが、1946年に相馬原駐屯地に米軍が進駐したことに伴い強制立ち退きとなった。そして次第に忘れさられて、一部の愛好家がたまに訪れるだけになった。しかしその後、駐屯地が自衛隊に移管されたのだが、実は再び自衛隊の人々によってこのガラメキ温泉は見守られてきていたのだった。
なんでも、自衛隊の駐屯地は地域との関わりが重要だということで、この相馬原周辺地域の歴史や文化・風俗をしっかり学びましょう、という命を渡邉さんが受け、この会を2002年ごろ立ち上げたとのこと。そしてこの相満山(※相馬山とも/榛名山のピークの1つ)を調べていたらガラメキ温泉の存在にたどり着いたそうだ。ガラメキ温泉の看板は会の活動の中の一部だったのである。まあ、会の名前からしてそうか。
ちなみに現在、自衛隊には「相満山史跡研究同好会」は存在しておらず、当時活動していた渡邉さんら有志が引き続き活動しているそうだ。
そして「史跡研究」というからには研究成果も存在している。それがこちらだ。
隊長から頂いた貴重な資料である。内容の全てを紹介すると膨大になるので『ガラメキ』という名の由来について考察された部分を紹介する。
「ガラメキ」って何だ?
まず、ガラメキ温泉は位置的には榛名山の相馬山頂上にある黒髪神社・奥の院に続く山岳信仰の道の途中にあった。こんな山奥に温泉宿ができたはそのためだ。宿は山頂へお参りする人々の休憩所としてかつて賑わったという。この資料による考察では「ガラメキ」という不思議な名前がこの温泉につけられたのは、この「相馬山」という山の名前がポイントなのでは、というものだ。
ものすごくかいつまんで書くと…
・相馬山という名前は平常将の息子の”相満”に由来している
・平常将もその祖先である平将門も現在の千葉県あたり”下総国”が領地
・下総国には相馬という地域もあり、平将門の別名も「相馬小五郎将門」と言う
・そんな千葉県の松戸市近辺には、かつて「ガラメキの渡し」と言う渡し場があった
・この相馬山の名前の由来が千葉にあるように、ガラメキ温泉の名も千葉の「ガラメキの渡し」から来ているのではないか
ということだ。
ちなみに「ガラメキ」という言葉は『水の流れる様子』『水の流れで小石が転がる様子』を指しているのだという。日本の他地域にも「柄目木」という地名があったりする。ただその中でも特にこの山の名前のルーツがある千葉に、同じく「ガラメキ」を冠する場所がある。それは偶然ではないのではないか、と。ガラメキ温泉の「千葉由来説」とでも呼ぼうか。
全国の温泉の中でも一際インパクトの強い「ガラメキ温泉」という名前だが、ここまでしっかりと名前の謎と向き合った資料は他にないのではないだろうか。はっきりとした真相は分からないが、ガラメキ温泉への理解がさらに深まった気がする。
さて、ガラメキ温泉と同好会の話を聞いているとあっという間にガラメキ温泉に到着した。
コロナの影響で遅くなってしまったが、ようやくこの新看板を目の当たりにすることができた。この看板が新旧のガラメキ温泉好きをつなげてくれたのだ。ちなみにこの看板は3代目に当たる。これまでずっと掛かっていた看板が2代目。実はその前にも初代の看板があったそうだが、いつの間にかなくなってしまったそうだ。
(出典)http://www5b.biglobe.ne.jp/~kkmi/newpage11.htm
2代目と3代目の看板を書いたのは同じ方で渡邉会長の上官の方とのこと。この看板掛け替えのために改めて書き下ろして頂いたそう。素敵な文字。ちなみに裏にはこの新看板を設置した際のメンバーが記されているのだが、来れなかった僕も名前を記していい、ということで恐縮だが名前を書かせて頂いた。
さていよいよ湯船へ向かうと、沢水と湯船からの温泉オーバーフローがきちんと流れるようにきれいに導線が作られていた。2019年時点ではどこに湯船があるのか分からないくらいの有り様だったが、有志の方々の手により整備が進んだ様子がはっきりわかった。
さらに湯船の近くにはこんなものが。
ガラメキ温泉といえば入浴前に靴を脱いで、足元のガレ場で『痛たた…』となりながら湯船へ向かう、という光景もあるあるだが、誰かが足を痛めないように親切にもスリッパを置いてくれていた。ありがたや。
さあ、来たからには入らずには帰れない。でも真冬の榛名山。今日の気温は3℃くらいしかない。
服を脱ぐと体を突き刺すような寒さがあるが、吊るされていたスリッパを履いて湯船に体をねじ込んだ。
ちなみにこの湯船になっているヒューム管は相満山史跡研究同好会が発足した頃にはすでに埋められていたそうだ。それもそのはず、ツナノさんが出会った『このヒューム管を埋めた』という方(!)からの情報によると、埋められたのは昭和の頃でこのあたりで行われた砂防ダム工事の余りだったとのこと。元の持ち主の依頼だったとか。今まで聞いたことのない貴重な情報である。
・ヒューム管は元の持ち主の以来により昭和に埋められた。
— ツナノ (@dekamotorasix66) 2020年11月16日
・元は火傷等の療養泉
・元は七軒。下のゲート辺りににも家があった。
・10トントラックも通れた。というか砂防ダムの工事で行き交っていた。
↑ヒューム管はその際の余り
・営業中も湯は冷たく温泉は沸かし。
・さっき熊がいた(怖い)
またこの日、なんと月1でガラメキ温泉まで来ているというベビーガラメキユーザーの方にも出会った。途中の看板といい、ガラメキ石といい、スリッパといい、こんな山奥なのに相満山史跡研究会の方々以外にもガラメキ温泉を愛する人々の痕跡があちこちに感じられた。むしろ近年、その愛はじんわり高まっているとも感じられる。僕もその1人としてこれからもガラメキ温泉を静かに見守っていきたい。
【後日談】
ちなみに看板が3代目に掛け替えのされた7月24日は会において「ガラメキの日」に制定された。今回の掛け替えを記念して、毎年この日の近くで例会が行われることになったのだ。
そして翌2022年7月23日。ガラメキの日に近いこの日に例会が開かれ、会長たちともに改めてガラメキ温泉に向かった。一年ごしでようやく参加できた。
今回は長年ガラメキ看板を支えてくれている杉の功労を称えて『ガラスギ』という札を設置することが主な目的とのこと。『ガラスギ』というのはネット上でこの杉がそう呼ばれているらしく、それを聞いた会長が看板を用意しようと思い立ったのだ。
そして湯船まわりだが、訪れてみると5月に再びツナノさんらが整備してくれたおかげでさらに素晴らしい環境になっていた。
ボロボロで原型を留めていなかった金属製の蓋から木製の蓋に代替わりが行われていた。きちんとサイズを測って作られたであろうジャストフィットさ。前は沼感があったが、かなり風呂感が出てきた。そしてもう1つすごいのが、最大の懸念であった冷たい沢水が湯船にドバドバ注がれている問題が解決されている。湯船周りを掘り下げることで沢水から湯船が守られているのだ。ガラメキ温泉にとってこれは革命的だ!
野湯の中でもガラメキ温泉に入って目の前に広がる光景はひときわ美しい。ぜひ訪れた時には思い切って入浴してみてほしい。
↓「相満山史跡研究同好会」会長と行くガラメキ温泉↓