水が湧き出る様子が好きだ。
平野部にある湧水地ももちろんいいし、山に分け入って出会う「川の始まり」も趣があっていい。何もない地面から水が次から次へと出てくる様子は神秘的で美しい。子どもの頃、登下校ルートの途中に湧水ポイントがあったのだが、夏は友達と冷たい水をガブガブ飲んで水浴びをして涼を得ていた。一方で真冬の朝には寒い外気温との温度差で湯気がホカホカと立ち上っていたので、かじかんだ手を差し入れて暖をとっていた。涼にも暖にもなるというのは魔法のようである。
温泉がめちゃくちゃ好きという訳ではない僕が野湯にハマったのは温泉の源泉というのが「レアな湧水」からなのかもしれない。温かい水や色のついた水が地面から出てくるなんてめちゃくちゃ面白いではないか。そういうわけで今回は長野に黄金色の水が湧き出る場所があるということで現地へと向かった。
本州No.1活火山・浅間山の野湯へ
東京から新幹線で約70分、そして軽井沢で降りて在来線で2駅というアクセスの良い場所がその野湯へのスタート地点だ。そこは長野県の浅間山の一部にあたるエリアである。
これまでに訪れた野湯も蔵王に安達太良山、那須岳など近くに火山があるという条件を持つものが多かったが、今回の浅間山は特に火山活動のポテンシャルが高い。北海道や九州、伊豆諸島の火山を除けば名実ともに「本州No.1火山」ではないだろうか。
現在は観光名所になっている景勝地・鬼押出し園を形作った江戸時代の天明大噴火は日本の火山災害史上最大の噴火の1つであるし、平成15年に発表された気象庁による火山活動度でのランク分けで浅間山は本州では唯一の「ランクA」。現在でも気象庁によって火山活動が24時間監視されている。
しかも浅間山は日本百名山の1つに数えられる名山である。百名山の中にも火山はいくつもあって御嶽山や草津白根山のように噴火によって一時的に山頂への登山に入山規制がかかる場合もある。ただ浅間山に至っては火山活動によって山頂である釜山への登頂は1970年台前半以降、ずっと禁止されている。日本百名山なのに登頂できない山なのだ。
そんな温泉ポテンシャルのめちゃくちゃ高い浅間山にある「黄金の滝」へ向かうために降り立ったのは御代田(みよた)駅。
濁川はどこから黄金色に濁っているのか?
目的の「黄金滝」への最寄り駅は隣駅の信濃追分駅である。しかしあえて1つ離れた御代田駅に降りたのには理由がある。目指す浅間山の中腹には黄金の水が流れ落ちる滝、そして川がある。事前にネットで見たその光景は非日常そのものだった。そしてその非日常な流れはその名も「濁川」という川となり御代田町を通り佐久で「湯川」に合流する。
上流では黄金色の濁川だが、支流との合流を繰り返すうち市街地に着く頃にはさすがにその黄金の”濁り”は薄くなっているはず。あの非日常な黄金色の光景がどの段階で日常レベルの濁りになっていくのか興味がある。登山&入浴の前にそれを調査したいと思ったのだ。興味のある場所に行き興味のあることを調べる。フィールドワークはこの活動の肝である。
さあ、濁川は御代田駅あたりの市街地ではどれくらい濁っているのだろうか。
ここから浅間山の寄生火山である石尊山まで濁川を遡っていく。まずは御代田駅から約1km離れた橋へ。御代田は小さな町だがここらは普通にコンビニやスーパーもある市街地である。ここの川の様子はどうだろうか。
嘘でしょ!
もうこんな色!?ネットで見た上流部とほぼ同じような黄金色でる。まるで大雨が降った後のような水の色だがここ数日雨は降ってはいない。現に水量は普通だ。それなのにこの感じ。そりゃ「濁川」と名がつくはずである。確かに地図を見てもこれより上流部にこの川に流れ込む大きな支流はないようだが、それにしても源流部までまだ8・9kmある。ずっとこの色のまま人里まで流れているとは。非日常が日常に侵食している。
どんどん色が濃くなっていき、非日常な光景にグラデーション的に変わっていくものだと思っていたがそれはもっと下流の話のようだ。それにしても数キロ下流でこの様子なのだとすると源流域はどうなっているのだろうか。実物を見るのが楽しみだ。
目指す石尊山は上写真の通り浅間山の山腹にポコっと頭を突き出す寄生火山だ。浅間山は噴火警戒レベルが1の時は山頂火口にも近い前掛山というピークまで登山できるが困ったことに実際はレベル2以上であることの方が多い。この時もレベル2だったが、そんな時にも中腹の石尊山への登山は許されている。浅間山への本格的な登山はまた別の機会に取っておいて今回は黄金色の温泉を楽しみに石尊山を目指し目指し歩を進めていく。
※(注)レベル3の時には石尊山にも行けないので浅間山へ行く際は噴火警戒レベルを必ずチェックしてください。
↓↓↓気象庁の発表↓↓↓
浅間山の寄生火山「石尊山」に登って濁川源泉へ
濁川をたどって石尊山の登山道入り口までやってきた。麓にある軽井沢の別荘地を通りた頃には周囲は深い緑に囲まれ、その中を流れる濁川はだんだんと非日常な雰囲気を纏ってきている。
普通、野湯スポットというのは自治体が作る公的なマップには登場しない。地形図や登山地図に温泉マーク♨として登場する場合はたまにあるくらいである。しかし、この血の滝はしっかりとマップに登場している上に所在地である軽井沢町の公式HPにも公称の「赤滝」として登場する。
有名ではないものの、向かう「血の滝」は観光大国・軽井沢の名所の1つなのである。
石尊山の登山道は傾斜も比較的緩やかで足元も整備されていてとても歩きやすい。ただ藪漕ぎではなく登山道を歩いているにもかかわらず100本以上のクモの巣が鬼のように顔や体にかかってきた。こういう登山道たまにある。あんな素晴らしい光景がこの先にあるにもかかわらず、あまり頻繁には登山客は来ないようだ。
18歳まで上水道も下水道も通っていない広島の山奥の実家で暮らしていたこともあって、正直言って子どもの頃は「山に行って何が楽しいのか」と思っていた。『山派か?海派か?』という定番のトークテーマがあるが『いやいや山派ってなんだよ。山に行って何をするんだよ!』と。しかし年齢を重ねるごとにどんどん「山派」に、そして『うどんか蕎麦か?』では「蕎麦派」になっていく。時間の波には勝てないものである。
そうこうしている間に濁川の上流である黄金の滝までやってきた。
今回の目的はこの野湯だが最後に取っておこう。なぜならまだまだ石尊山登山は続く。この日は30℃を超える暑い中で登山しているので最後に温泉で汗を流したい。
この濁川は地面からこの温泉が湧き出る源泉まで辿ることができる。登山道を進んでさらに上流へ濁川を遡っていくとこんな場所がある。
茶褐色なのに「お歯黒」とはこれ如何に。
だがどうもこの「おはぐろ池」という名前に濁川の神秘的な色の秘密があるようだ。お歯黒には「鉄漿(かね)」という歯を染める用の液体が使われるのだが、この「鉄漿」はその名の通り酢酸に「鉄」を溶かした水溶液なのだ。その色は茶褐色。鉄漿を歯に塗ってタンニンを含む粉をその上から塗る、ということを繰り返すことで化学反応で黒くなりお歯黒が完成する。つまり、この池はお歯黒に使われる茶褐色の液体「鉄漿」から連想して「おはぐろ池」と名付けられているのだ。おそらく。
ではなぜこの池や川が茶褐色なのか。そう、鉄漿と同じで濁川には鉄分が異常に多く溶け込んでいるのである。鉄が酸化するとこういう茶褐色になる。石尊山にある源泉から湧き出た源泉がその下流域の川を延々と染め上げている。一体どれだけの鉄分濃度なのだろうか。さらに先にある源泉へと向かった。
石尊山の源泉はいくつかあるのだがここが最も湧水量が多いようで祠のように整備されている。注目してほしいのは水の色だ。普通に透明なのである。水底の石や周囲の土は例の茶褐色に染まっているが水自体には色は付いていない。この温泉、源泉から湧き出たばかりの時はまだ透明なのである。
鉄分を多く含んだこの温泉(含鉄泉)だが、もともと透明で地上に湧き出て空気中の酸素と反応することで酸化鉄が出来て茶褐色になる。これは硫黄泉でも同じで、もともと透明な源泉が酸素と反応して乳白色になる。源泉からの色の変化を観察できるのは野湯ならではの醍醐味である。化学の授業の一環として野湯見学をカリキュラムに組み込みたいくらい科学的な光景だ。
ここでこの「酸化による温泉の色の変化」という現象をより体感すべく、1つ試してみたいことがある。
さてこの湧きたての温泉をザックに入れたまま山を降りて寝かせる。歩きの揺れで中の温泉と空気が攪拌されているはずだ。念の為、一度蓋を開けて空気を入れ替えもした。その結果がこちら。
さあここから一度、石尊山の山頂まで行ってから黄金滝の野湯に浸かろう。ここで今のうちに伝えておくが、今まで「温泉」と伝えてきたこの源泉だが、実は非常に冷たい。
さっきペットボトルに源泉を汲んだ時の写真を見てもらうとわかるが、ペットボトルの外側に外気温との温度差で水滴が付いて汗をかいている。それくらいキンキンに冷えているのだ。しかしこの日は真夏日。冷たい温泉もまた気持ちがいいだろう。
http://file:///Users/miurayasuo/Desktop/ji0532016.pdf
浅間山は火山としてのポテンシャルがとても高いのになぜか温泉が少ない。阿蘇も御嶽山も草津白根も火山活動が活発な山の周りには高温の源泉が多いのに不思議だ。
そして石尊山登山もいよいよ山頂へ。石尊山は浅間山の一部でありながら、寄生火山としてポコっと突き出ているので素晴らしい浅間山ビュースポットになっている。ビュースポットというのは普通、登っている山から麓を眼下に見下ろすもので「今登っている山を展望できるスポット」というのはあまりない。よく考えると非常に貴重な存在である。
ちなみにせっかく長野まで行くのだから浅間山周辺でも未到温泉の探索も行おうと思い事前に人工衛星画像を確認してきていた。
そのエリアを黄金滝に戻る前に探索しようと思ったのだが、どうも石尊山周辺は登山道に限り入山が認められていて周辺は立ち入り禁止のようだったのでやめておいた。
黄金色の温泉(冷)に入浴!
さあいよいよ温泉へ。朝6時半に駅を降りてから約6時間。真夏日の中の登山でもう汗だくだ。冷たい温泉でクールダウンといこう。登山道からは滝の方に降りれるように整備はされていないものの道が続いていた。
この滝は「赤滝」もしくは「血の池」という名前だが【赤】というよりはやはり黄色寄りの【茶】。昔の人が血を連想したのはこの山が石尊信仰と結びついた信仰の場なのが関係するのだろうか。それにしても非日常な光景である。大迫力。
登山道からはこの川底は見えにくくなっているので安心して脱衣できる。そもそも今日は誰にも会っていないし、登山道にかかる蜘蛛の巣の量からしてここ1週間は人が来ていないのだろう。沢用シューズにパンツ一枚といういつものスタイルで黄金川に足を踏み入れた。この素晴らしい野湯をありがたくいただこう。
思っていたより水流の圧力は強く川の中は気をつけて歩かなければならない。水温は銭湯の水風呂程度だが、それとは違って流れがあるので川に浸かった足の体感温度はそれよりもっと冷たく感じる。意を決して腰を下ろしてみよう。
ほてった体が急速に冷やされる。気持ちいい。強い水流に体が押されるのを抑えながら入浴する。朝から歩き通しの疲れがスパイスとなって余計に開放感がある。しかも周囲の光景はこれである。
川がそのまま温泉になっている野湯はその熱や温泉成分で周囲に木々が生えていない「地獄地帯」な風景なことも多いが、ここはまさに緑の真ん中。日本とは思えない光景である。ここの湯がもし適温の温かさなら軽井沢の人気観光地として開発されていただろう。そういう意味では温かくなくてよかったのだろうか。
野湯というのは「この素晴らしい場所があまり知られていないのはもったいない」という気持ちと「でもこの場所が有名になるとこれを味わえなくなっちゃうかもな」のせめぎあいである。野湯のジレンマ。個人的には前者の気持ちのほうが大きくはあるのだが、後者の気持ちもよくわかる。だがSNS全盛の世の中でこれだけ素晴らしい「野湯」という世界がもっと広く知られるようになるのはもう避けられないし、一般化すればするほどマナーの悪い人も多く出て問題になってしまうのも避けられないだろう。「キャンプ」や「登山」しかりである。それだけに未来で入れる野湯が少なくなってしまわないようマナーを守った『持続可能な形での野湯探訪』を模索していきたいものだ。これをSDGsに倣ってSBMs(Sustainable Bathing Manners/持続可能な野湯入浴作法)と名付けることにする。語呂が悪い。
源泉地からここまで他の沢と合流している様子はあまりなかったのでほぼ源泉100%の掛け流し温泉である。それも周囲の岩を抑えて体をちょっと固定しておかないと押し流されそうなくらいの豊富な源泉量。贅沢過ぎる野湯だ。
それにしても不思議なことがある。こんなに大量に湧き出して流れている石尊山の源泉だが、温泉の源泉として利用されている気配が一切ないのだ。源泉から麓に湯を引く引湯菅の類は見られないし、何よりネット上にもそういう話が全く見当たらない。おそらく源泉は濁川に完全に垂れ流しにされている。もちろん「源泉が冷たいから」というのが理由の1つだろうが、世の中には冷たい源泉(冷鉱泉)を沸かして浸かっている温泉施設がいくらでもある。
自然湧出している温泉の源泉が利用されず野湯のままになっている理由は大きく分けて4つある「①源泉が山奥すぎて利用しにくい」「②もともと温泉施設で利用されていたが施設がなくなった」「③利用されているがその一部が垂れ流されて野湯になっている」「④源泉が人里にあるが湧出量が少ない」。この石尊山の濁川源泉は②③ではないはずだし、湧出量の豊富さから④でもない。考えられるのは①だ。しかし、この日は隣駅から歩いたので時間がかかっているだけで人里からこの「血の滝」までは1時間ちょっと。ましてや麓は軽井沢の別荘地で温泉需要はあるはずである。あと考えられるのは軽井沢という土地が厳しい開発ルールを持つ特殊な場所だからかもしれない。家を建ててるために土地を買っても自分の土地だからといってその土地内の木をバカスカ切ってはいけないし、勝手に井戸を掘ってもいけない。
自然保護のための土地利用行為の手続等に関する条例 | 長野県軽井沢町公式ホームページ
軽井沢を軽井沢たらしめる、そんな「軽井沢ルール」がこの濁川源泉や血の滝を素晴らしい景観のまま維持してくれているのかもしれない。
さて撮影もあって長時間浸かっていたら冷えすぎて体がピリピリしてきた。陸上に上がろう。しかし汗だくの状態から非常にさっぱりした。その後、真夏の日光を遮るこの谷間でしばらく滝を眺めていたのだが非常に気持ちが良かった。温→冷→温と温冷交代浴でサウナ業界でいう「ととのい」にも似た爽快感がある。
でも真夏はこれでいいけど、次はさすがに温かい野湯に入りたい気も!
↓【今回のダイジェスト】↓