2023年秋は熊が出すぎた。熊被害の多寡は普通、山に入る人が気にする程度だと思うが2023年は被害の多さにニュースで話題が持ちきりだった。特に秋以降。ヒグマに関するニュースはもちろん、死亡事故は多くても年1・2件のツキノワグマでさえ2023年は4件発生した。200件を超える熊による人的被害の半数以上が東北、秋田・岩手で起こってしまっている。
【環境省】クマ類による人身被害について
https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/injury-qe.pdf
日本を代表する危険生物で死亡例が圧倒的に多いのはスズメバチだが、スズメバチの被害が多いのは人間と生活範囲が被っているからだろう。一方、熊は山に行かなければ基本遭遇しないのが救いだったがこの年はそんな原則はきかず、里での被害も多かった。
ただでさえ、以前熊にボコられて山を歩くのにナーバスになっている僕としてはこんなシーズンに積極的に山に入るはずもなく、2023年秋は今まで行けていなかった人里にある野湯を巡ることにした。
大苦戦!葛温泉の河原野湯
今回行くのは二つとも長野の野湯。まず向かったのは山好きの憧れ・北アルプスのお膝元、大町市だ。大町といえば僕が野湯に目覚めるきっかけとなった野湯「湯俣温泉」があり思い出深い場所だ。
新幹線で長野駅に、そこからバスで信濃大町駅へ。ここからさらにタクシーで葛温泉に。東京にある家の最寄り駅からここまで四時間半かかっているが、今日はここから山に入る必要はないので安心だ。宿が点在するこの葛温泉の真ん中に目的の野湯がある。
タクシーを降りて葉が色づき始めた高瀬川を橋から見下ろすと、まだ秋口で気温はそこまで低くないというのに岸辺からはもうもうと湯気が高く上がっていた。
橋を渡って対岸の湯気へ近づくと、源泉井のような小屋が。この小屋の下の河原に温泉があるということは、いわゆる『源泉こぼれ湯』系の野湯になるのだろうか。
護岸された岸の上から湯気のある岸辺までは4mほどの高さがあり、普通に降りるのは大変そうだがよく見ると近くの木からはロープが岸辺に向かって垂れ下がっていた。これは…野湯の近くで稀に観測される非公式ロープ!おそらくは誰か熱心な野湯ファンが設置してしまったものだが、せっかくなので利用させてもらい岸辺に降りよう。
岸辺に降りてみると、モクモクと立ち昇る湯気は見上げるほどの高さ。これだけの湯気、果たして温度は…
約80℃の熱湯!最近冷たい温泉が続いていた中で久しぶりの熱い野湯。寒くなって来たので嬉しいが、こういう高温の野湯は源泉には直接浸かれないので川の水と混ぜていい具合にして入らなければならない。源泉はこの河原に広く別れて川に注ぎ込んでいるようで、ちょうどよく入浴できる場所を求めて温度を確認して回る。
各所で手を入れて湯加減を確認するのだが、こういう野湯が自然に"いい湯加減"になっていることは基本ない。いい湯加減になるには、川の中に流れの弱い滞留部分ができていて源泉と川の水が絶妙に混ざり合う必要がある。しかし源泉が川の本流に直接流れ込んでいる場合はそんな上手い場所は自然にはそうできない。
川の流れに直接源泉が流れ込むあたりに手を差し込んでみたが、指先は痺れるくらい冷たく手首あたりは我慢できなくらい熱い。源泉が熱湯なだけでも難しいのに、今回は高瀬川が激冷なので余計に難しい。"いい湯加減"は4cmくらいしかない。これは思ったより大変そうだ。探していると岩に囲まれて流れのやや弱い場所を発見した。手を差し込んでみると、ここも全体が快適な温度になっているとは言い難いがさっきよりはまし。最善を尽くして入るしかない。
恐る恐る足を入れて、湯を思いっきりかき混ぜてすばやく体を浸ける。おおいい感じ!と思えたのは約3秒で次の瞬間、右半身は熱湯に襲われた。実際は左半身には冷水が来ているのだろうが、熱湯の刺激が強すぎてわからない。
体を止めて腰を据えることは許されない。体を止めると途端に熱湯に襲われるため、湯船の中で体をよじり湯をかき混ぜ続ける必要がある。ゆったり体を休めたいはずが、湯を撹拌し続けなければ入ることができないというもどかしさ。そのゲーム性はさながら、ゴールに向かおうと背を向けると猛スピードで襲いかかってくるマリオのテレサのよう。
体を動かしては冷水と熱湯が一瞬作り出す快適を味わう。冷と熱の融合というと極大消滅魔法『メドローア』だが、さすがに真逆の性質をうまく操れるのは大魔道士だけのようだ。ほとんどの時間をすごく熱い湯とめちゃくちゃ冷たい川への対処で費やした。
全身運動とたまの熱湯による体の硬直でほんのり疲れてきたのでここらへんにしよう。湯気が立ち上ぼって美しい渓谷に色づいてきた木々。ビジュアルは最高だが、これまで入った中で一番入浴の難しい湯だった。
さてここから次の野湯には徒歩で移動する。葛温泉から県道326号線を2キロ弱ほど歩き、七倉山荘へ。この道を歩くのは約5年ぶりだ。「湯気が沸き立つ冬の湯俣温泉が見たい」とやってきたのは2018年12月。七倉までタクシーで行くつもりが、そのかなり手前の葛温泉で道路はしっかりと封鎖されていた。
シーズン中なら高瀬ダムまで車を使えるはずが、往復プラス13kmの行程追加で湯俣温泉までは往復計30km超に。その中にはトンネル区画が約7kmあるが冬季にはライトは一切ついてなく、漆黒のトンネルをヘッドライトを頼りに歩くことになってしまった。この葛温泉~七倉間を再び歩くことになるとは。
あの冬場の人っ子ひとりいない時期とは違い、車でいっぱいの七倉山荘前を通りすぎるとゲートが現れる。七倉山荘~高瀬ダム間は一般車両は通れず、認可を受けたタクシーだけが進入できる。なので湯俣温泉方面に行くにはここでタクシーに乗り換える必要があるのだが、今回用がある野湯はこの七倉山荘の近くにあるのでそのまま徒歩で進む。
次に向かう野湯は七倉山荘で使われている温泉源泉の一部が川に流れ出たもの。つまり先ほどの葛温泉と同様に「源泉垂れ流し」タイプの野湯となる。
登山道の横を流れる七倉沢に降りて源泉を探す。先ほどの野湯もそうだが、温泉にはっきり色がついているわけでもなく硫黄臭がするわけでもないので、いざ探すとなると難しそう…というのは杞憂だった。沢に降りてすぐ今回も湯気がもくもくと立ち上がっているのが見えたここも高温の源泉のようだ。近づいてみると、コンクリートやパイプで出来た源泉機構から岩の間を通り温泉が川に流れ出してきているようだ。源泉は触れないくらい熱い。
葛温泉の野湯と異なるのは、より上流部なために水深が非常に浅いこと、そして流れが速いこと。先ほどの経験からも、熱い源泉と冷たい沢水が混ざって滞留するエリアがないとこういう野湯は成立しない。更なる苦戦が予想される。
シチュエーション改善のためにスコップで川底を掘ってはみたが、砂の下2cm先には岩盤があり『ゴリッ』という音とともに作業は早々に打ち切られた。
恐る恐る足で周囲をかき混ぜて、少しでも流れの緩い場所をめがけて腰を下ろす。
腰を据えて体を横にして背中に温かさを感じたのも束の間、一番源泉注ぎ口に近い左手が熱湯に襲われた。急いで手で湯を撹拌するも湯はすぐに体に達し、あまりの熱さに飛び起きた。やっぱりさっきよりさらに難しい…!
護岸工事もあり人工物も見えた先ほどの野湯に比べると、さすがは上流部で野趣は素晴らしいがそれだけに入浴環境は過酷だ。しかし濁りひとつない澄みきった沢と、緑に囲まれた環境は美しい。もう2週間ほど経って葉が色づいたらさらに格別だろう。
久しぶりの温かい野湯は快適な温かさとはいかなかったが、自然との格闘はたっぷり楽しめた。
次回は同じく長野の野湯を報告します。
↓【今回のダイジェスト動画】↓