今回の舞台は栃木県那須。栃木と福島の県境にあたる地域だ。
栃木県は現在、そこまで温泉地のイメージは強くはないと思うが、もともと那須は実は非常に格式の高い温泉地だ。
江戸時代に『何でも相撲の番付に見立てて格付けをする』というブームが巻き起こった。現代で流行っている「〇〇総選挙」とか「〇〇で打線を組んでみた」の源流と考えていいだろう。その流行の中で江戸時代に作られた”〇〇番付”の中に「温泉番付」というものがある。
当時は本家である相撲の番付そのものに「横綱」がいなかった時代なので、最高位が大関になっている。最高位にランク付けされているのは東が「草津」、西が「有馬」。そしてその下のNo.2、東の関脇が「那須」である。草津はともかく、今でこそ『2位は箱根とか登別だろ!』と異論が出そうだが、実際に当時はNo.2だったのだ。事実、那須で温泉が発見されたのは「飛鳥時代」とめちゃくちゃに歴史のある温泉地である。
そんな地域だけに人工衛星画像を眺めていても気になる箇所が多いのだが、この那須地域にはすでに知られている野湯スポットもいくつかある。那須で温泉探索をする前に調査としてこの野湯スポットのうち3つを今回は巡っていく。そして、そのうちの1つがとんでもなく辛くて半泣きになった。
すごい旅館を紹介します。
その野湯巡りの記録を書く前に1つ、どうしてもお知らせしたいことがある。
普段は登山や温泉探索で現地に宿泊(前泊)する際は、ネットカフェやユースホステルなど安く泊まれる施設を使うことが多い。節約の意味合いもあるが、宿泊施設のお風呂や快適な睡眠環境にはあまり興味がない。ただ、今回は近くにそんな安宿がないので旅館に泊まることにした。そこで選んだのは「北温泉旅館」という旅館だ。
旅館にあまり興味がない僕だが、この旅館は知っていた。湯舟の脇にどでかい天狗がいる「天狗の湯」というのを見たことがあり、強い印象が残っていた。
とはいえ、雑誌の温泉特集とかにたまに載っているような所なので「変わり種の湯船が売り」くらいの認識だった。なので、まあせっかくなので泊まってみるかという軽い気持ちで野湯巡りの前日に泊まったのだが、これが本当にとんでもなく素晴らしい場所だったのだ。
全く現代ナイズされていない、江戸時代の匂いさえ残す温泉宿。
こういう古びた温泉旅館を見るとすぐに「千と千尋みたい!」と言う人がいるが、正直こう思った「これもう、千と千尋のモデルだろ!」と。一人だったので口に出すことはなかったが、同行者がいたら確実にそんな俗めいたことを興奮して口走っていただろう。興奮は語彙力を奪う。
後で調べたら「千と千尋」のモデルでは全くなかったが、日本でその次に有名な温泉映画「テルマエ・ロマエ」で上戸彩さんの実家の温泉旅館として撮影に使われている。こんな画になる旅館を放っておく訳が無い。ルシウスがタイムスリップしてくるに相応しい空気の温泉宿である。
温泉と信仰が結びついているのも、他の宿ではあまり見ない特徴。
江戸→明治→昭和にそれぞれ増築が繰り返されており、どの廊下がどこに繋がっているのか把握するまでにかなり時間が必要なくらい複雑な造りでそれも高まる。
また、この旅館は湯治目的で訪れる方も多く、そんな方のために自炊場がある。
行ったのが平日、ということもあるだろうが、僕以外の方はおそらく長期に渡り滞在されているようで「え、待って、ヤバくない!?インスタに上げたーい」みたいな浮かれた雰囲気は1mmもない。皆静かにロビーでテレビを見たり、客同士で雑談したり、本を読んでいている。複雑怪奇な構造、信仰と結びついた温泉文化、薄暗い館内、それら全てがこの旅館の妖しさを増していて、余計に興奮してしまう。落ち着け。
そして、これが「天狗の湯」だ。
どうだ、「天狗の湯」としか名付けようのない圧倒的な天狗加減である。この北温泉は天狗が見つけたとされているので、このでかい天狗はその発見者の頭像ということになる。いつか温泉を発見したら自分のでかい頭像が見下ろす温泉旅館を作ろう。そう誓いながら湯に浸かった。
また、来て初めて分かったのだが、浴室の構造も普通ではなかった。
扉がないのだ。
自分の部屋から「天狗の湯」と書かれた方向に廊下を歩いていると、扉とか一切なしに突然、風呂場が現れる。つまり、廊下から丸見えなのだ。脱衣場も湯船も廊下の延長にある。混浴温泉なのだからそれでいいのかもしれないが、ワイルドすぎる構造である。
ほかにもグッとくるポイントはたくさんあるのだが、きりがないのでもうひとつだけ。この旅館には他にも別の場所に様々な風呂があるのだが、実は屋外にすごく大きい浴場がある。見てほしい。
立地もあってイワナの養殖池かと思うほどににデカいが、これ全部が温泉だ。
でかすぎる。これまでの妖しい雰囲気とはうってかわって、ホテル竜宮城とかユネッサン並みの温泉プールが浮かれ度合いを引き上げる。
せっかくなので温泉の流れるすべり台を滑り降りたら、静かな山奥に「ドッパーン!!!!」という水音がめちゃくちゃ響いたので、滑るのは一回だけにしておいた。
北温泉旅館、めちゃくちゃ最高なのでぜひ訪れて欲しい。最後にここの映像を置いておく。
半泣きになりながらの野湯探し
興奮してしまったとはいえ、ここで普通に宿紹介をすることになるとは。さて、ここからは野湯を巡っていく。北温泉を拠点にしたがために、登山道入り口までは1時間ほど歩いて移動することになった。
今いるのは茶臼岳という山なのだが、その中腹にある「那須温泉ファミリースキー場」のゲレンデ横に山頂へ向かう登山道がある。その登山道の途中に野湯スポットが、まず2つある。
なんと、Googlemapでは①膳棚の湯の場所がインプットされており、表示できるようになっている!膳棚の湯がそれくらい有名な訳ではなく、Googleの守備範囲が広すぎるせいだ。野湯フリーク以外必要としない情報なのだが。
他の地図ではどうなっているかというと…
載っていたり載ってなかったりするが野湯の中ではどれかの地図に記載があるだけで、そこそこ有名だと言っていい。
さらにこの地域のサーモ画像を見てみよう。
西側にある広い範囲で赤くなっている部分が日本百名山でもある那須岳、そしてその主峰の茶臼岳の火口である。火山といえば温泉であり、茶臼岳には上に挙げた以外にも数カ所で違う温泉が湧いている。上で訪れた北温泉もその1つだ。
休火山とかではなく、立派な活火山なので火口からはいまだに噴煙も上がっている。そりゃあ、サーモ画像が真っ赤なはずである。
そして、北温泉でも感じたように那須では山岳信仰と温泉が深く結びついている。その1つが「殺生岩」だ。
「ナルト」や「うしおととら」でもモチーフにされていてお馴染みの妖怪”九尾の狐”が討伐されたあと、この石に姿を変えたが、その後も毒を発して周囲の生き物の命を奪い続けた、というのが由来である。今でこそドラクエの「ばくだんいわ」みたいになってしまっているが、元々はこの石こそが日本を滅ぼそうとしていた最強レベルの大妖怪だったのだ。
なぜ「生き物を殺す」と言われているというと、周囲から硫化水素など火山性ガスが噴出しているという科学的な理由があり、実際にこの辺りは強い硫黄の匂いが漂っている。実際に近くで生き物が死んでいたことから、この伝説が生まれたのだろう。温泉と火山性ガスという地質的な要素と山岳信仰が結びついている訳で那須の地域性が色濃く反映されていて非常に面白い。
そんな茶臼岳の中腹にあるスキー場から登山道を歩くこと1時間、①と②の野湯スポットに到着した。
①と②は歩いて数分の距離にあるのだが、まずは②から紹介しよう。
ここは「飯盛温泉跡」という名の野湯スポットだ。”跡”とは何かというと、以前はここに温泉旅館があったのだが、旅館は閉業しそこにあった源泉は人の手を離れて今に至る。どんな状態にあるのだろうか。
登山道を歩いていると上の看板の近くにチョロチョロと温かい湯が道に流れこんで来ている場所があり、それを辿って少し斜面を登ると飯盛温泉跡に辿り着く。それがこちら。
朽ち果てた建物でもあるのかと思っていたが、そんな形跡は一切なく、人の手を離れた源泉は再び完全に野生に戻っている。THE野湯、という趣である。
苔むした崖の岩肌からお湯が湧き出ている。明るいグリーンの苔に立ち上った湯気がかかり、とても神秘的な光景だ。
しかし、染み出してきた湯が一旦溜まっている、といった雰囲気で水深が足りない。溜まった葉っぱや枝、泥を掘って湯船を作ってから入ることにする。
こういうときのために組立式の小型スコップを携帯していたのだが正解だった。誰の役に立つ情報なのか分からないが共有しておく。そして、掘ること10分。
見事に泥水の湯船が出来た。
さっきまであんなに澄んでたのに。
まあ、少し待てばまた透き通る温泉に戻るんでしょ、とパンをかじりながら15分待ったが、特に変化なく泥水のままだった。確かに濁り湯の温泉も好きだが、こういうことじゃない。
今日は時間がない。夕方までにもう2ヵ所の野湯を巡らないとならないのだ。温泉は見た目じゃない、そう言い聞かせ入浴することにした。
水深的に常に体の一部がでてしまうのだが、ここは標高も高く、この日は気温も低いので、湯から出ている部分が非常に寒い。なのでコロコロと寝返りをうつように入浴するのだが、それもまた一興である。
ここで撮った映像を帰りの電車で見ていたのだが、泥水に笑顔で入っていると狸に化かされた人みたいだ。実際、入浴中は苔と岩肌を流れる湯が美しい温泉だと思っていたが、客観的に見ると、湯が泥色に濁った瞬間に温泉感が薄れる。
さて、飯盛温泉跡を後にして、登山道を少し戻ってもう1つの野湯スポット「膳棚の湯」へ。なぜ一度、通りすぎて後回しにしたかというと、こちらは登山道から少し崖を下って降りる必要があるのだ。
この活動を開始して初めての乳白色の湯船を湛える野湯だ。先ほどの飯盛温泉跡と違い登山道からも突然、強烈な硫黄臭がする。
そして、崖を降りる準備をしていると、山頂方面から登山者グループが通りかかった。
登山者「こんにちは。上まで行かれるんですか?」
僕「上にも行くんですけど、ここの温泉に入りに来ました」
登山者「ここ、温泉あるんですか?」
聞いたことはあるがここに温泉があるとは知らなかったようだ。
グループの1人は「入っていくか?」と迷っていたが、「あんた昨日も今朝も温泉入ったでしょうが」と他のメンバーに諭されて登山道を下っていった。入っていけばいいのに!
というわけで恐る恐る崖を下っていく。所々の岩が黄色く変色している。草木がここだけ生えていないのは温泉の硫黄分による部分もあるのだろう。目の前に現れたのは、きちんと管理されている雰囲気のある小綺麗な湯船。
見事な乳白色の湯船だ。わざわざホースで湯が引かれ、この湯船に溜まるよう調整されている。
どれくらいの湯加減なのか、近寄り手を入れると…
驚いたことに冷たい。訪れた人が記しているネットの情報では32〜34 ℃くらいという記録が多かったのだが、それよりも非常に低い。マジかよ、何が起こったのか。前日に雨が降っていたがそれによる影響なのか。
冷たいとはいえ水風呂、というような温度というわけではない、この日の気温を考えれば入ってしまえば外より暖かい。そういう訳で入浴する。
生憎の空模様でガスってしまい、全く景色が見えないのが残念だが温泉成分たっぷりで入りがいのある湯だ。夏場、山頂に登って降りる時に利用するとちょうど良さそうだ。
さて、残る野湯スポットは1つ。
歩きやすさでいうと登山道を引き返し一般道に戻った方が早いかもしれないが、ここは一旦、山頂付近まで登りロープウェーで下るルートを取ることにする。そもそも山登りの趣味がこの温泉探しに派生しているのだ。茶臼岳登山を楽しもう。
実はこの山頂からロープウェイで下りるルートを取ったのにはもう1つ理由がある。目指す三つ目の野湯スポット「郭公温泉」は正確な場所が分からないのだ。なので、このロープウェイで降りながら上から当たりをつけておきたい。
郭公温泉を訪れた方のブログなどをネット見る限り、あの辺りだろう、という場所を見下ろしながらロープウェイに揺られた。都合のいい場所にロープウェイがあるもんだ。
地図を見るとこの近くに「郭公沢」という地名が見える。気になるのは、「沢」というからには水の流れがありそうだが、そこに沢があるとは地図には一切書かれていないこと。元々は郭公沢という沢があったのだが、今は枯れてしまい地名だけが残ったのだろうか。
これは予想だが、郭公温泉というからには郭公沢に流れ込んでいたのでは。もしくは郭公温泉から湧き出た温泉が流れ出し沢となって流れていたのでは。となると、郭公沢が存在していた時に水が流れていたであろう、地形的に「谷」になっている部分(上の地図の水色のライン)を探せば手がかりがあるのでは!
これ名推理なのではないだろうか。マジで。もっともらしい理屈が浮かぶようになってきたな我ながら。そう、したり顔で考えながらロープウェイの山麓駅から、さらに上の峠の茶屋駐車場へ歩く。そして、郭公温泉へ続く道?があるという場所に着いた。
「道?」と疑問形にしたのは、誰の報告を見ても「ここが入り口らしいが道の入り口のような痕跡がない」というようなことが書かれているからだ。ここがスタート地点なのは確実だが、確かに人がたまに立ち入っているような痕跡が全く見えない。
しばらくどこから1歩を踏み出せばいいのか探ったが、どこも同じだ。全く入り口の気配は感じられない。しょうがないので適当なところから真っ直ぐ入ったが、かなり幹の太いタイプの笹薮で前に進むのに相当なパワーがいる。おそらくネマガリタケと呼ばれる笹だが、掻き分けるというようなものではなく「押し進む」という感じ。
ブログによっては「しばらく進むと道の痕跡が」とか「木に青いしるしがある」という記述もあったが、全くそんなものはない。話が違う。
右に進んでいいのか、左に進んでいいのかさえ分からない。場所によっては笹の幹が太すぎて身動きが取れず、100m進むのに20分ほどかかった。薮こぎという次元を超えている。はっきり言って、ちょっと人が立ち入れるレベルではない!
正直、半泣きになった。GPSがあるからいいが、装備なく入ったらすでに遭難している。辛すぎる。そういえば、冬季や雪解けの季節くらいに郭公温泉に向かっているレポートが多かったが、そういう時期の方が笹も枯れて、太い幹が雪で潰れて歩きやすいからなのだろう。こっちの名推理は出るのが遅すぎた。
と、そんな時、笹薮の中に少し凹んだ場所が見えた。GPSが指し示す「目的地」方面に向かって、その凹んだ部分が伸びている。あれが他の人がブログで書いている「道の痕跡」なのでは。希望が見えた!死に物狂いでなんとかその場所に行ってみると…
道はなかったが沢があった。これは地図にはないが、名前は残っている「郭公沢」に違いない!1時間前にした名推理のことは、ここまでの道のりが辛すぎてすっかり忘れていたが、本当に沢があった。笹が濃すぎて絶対に上からは見えない細い沢だ。
触ってみても水は冷たく水温では温泉を感じられないが、これを辿ってみる価値はある。そう思い、さらに進むと大きな岩がゴロゴロあるエリアにたどり着いた。先人のブログでも周囲に岩があったので、この辺りのはずだ。とりあえず岩に登って周囲を見渡してみるか、と思った矢先。
突然、現れた。これは確かにネットでみた郭公温泉である。
ライトグリーンの苔に囲まれ美しいロケーションだが、中には藻がみっちり!温泉藻の類だろうか。そして肝心の湯温だが…
話が違う。
32,3度あるという記述をネットでは見ていたのだが、それより結構低い。冷たい訳ではないが、この藻が生えまくった湯船に入るには、温かさのご褒美が必要だろう!とりあえずスコップで藻を取り除いてみたが、下がりきったテンションでは入る気にはなれなかった。
野湯愛好家としては非常に情けないが、入浴をパスしてしまった…。恥ずかしい限りである。
温泉に入るため、というモチベーションのない帰りは更にキツかった。
今思えば入っておけばよかったと現在になって思ってしまっているが、しばらくは郭公温泉に再チャレンジするメンタルにはなれそうにない。今回、いつもより詳しく場所を明示したのは、二度と行きたくないからだ。ただ、代わりに入浴してやろう!という方がいるかもしれないので、GPSのログも貼っておく。
僕からのアドバイスは「行くのは止めておいた方がいい」だ。少なくともGPSなしで入ると五分で遭難する。だが、もし装備を整えて挑んだ方とはあの地獄を一緒に語り合いたいところである。湯加減も聞かせて欲しい。
次回は再び未到温泉探索に行きます。
今回のダイジェストです↓