今回の舞台は群馬県・那須岳。
那須は2019年夏に「膳棚の湯」「飯盛温泉跡」「郭公温泉」という野湯を巡り、今シーズンには未到温泉の探索も行った野湯的にもホットな温泉地である。
向かうのは「御宝前の湯」という、那須岳山中に湧く野湯だ。場所は分かっているものの野湯までへの道は全くつながっておらず、GPSを頼りに藪をかきわけ向かうことになるタフな野湯である。藪こぎというと昨年行った地獄の郭公温泉の記憶が蘇るが、あんな悪夢のような場所でないことを祈るばかりである。
「あんな悪夢のような場所でないことを祈る」なんて分かりやい振り込みをしたが、そう今回も鬼のような藪こぎを強いられた。その苦行に耐える覚悟のある者だけが入れる貴重な野湯への探訪をお伝えしよう。
「野湯って広めていいのか」問題
はっきり言って那須岳は登る難度に比べて、登った時の満足度が釣り合っていない。唐突に何だという話だが、褒め言葉である。高度感のある稜線歩きとい、そこから見える壮大な山並みといい、美しい紅葉といい。あのレベルの景色を見るためには他の山ならばもっとタフな山歩きが必要なのだが、那須岳は非常に手軽に素晴らしい景色に出会うことができる。こう言うと語弊があるが、運動量に対するコスパがすごい山である。山をやらない人もロープウェイで途中まで登れるので是非訪れてほしい。
今回はバスの終点からロープウェイに乗って山頂近くまで高度を稼いでから歩く行程にした。普通の登山とは違い、野湯に行く際は登山道を外れてからどれだけ時間がかかるか計算しにくいのでなるべく余裕を持ったスケジュールにしておきたい。
さて、今回の「御宝前の湯」にも関係するのだが野湯のレポートをする際にいつも悩ましく思っていることがある。それは『野湯の場所って正確にネットに上げていいのだろうか問題』である。野湯を始めたころから感じていたのだが、野湯界隈では不文律的に場所を詳しく書かない作法があるような気がしている。野湯人口はまだまだ少ないのでルールとしてきちんと定められてはいないものの、詳細な場所は伏せられたままのレポートも結構目にしてきた。
それはなぜかだろうか。
第一にやはり登山道ではない場所に堂々と立ち入ることが安全上、そして環境保全上、良しとはされていないことだろう。そして第二にこれは僕の解釈だが、野湯というのは手付かずの大自然の中での入浴こそが醍醐味であって、詳細なマップがあり手軽なアクティビティとなって人が続々やって来るのは違う。なので入浴のハードルを設けてある、ということではないだろうか。
いやいや勝手に野湯の大衆化を心配してるが、山奥の枯葉だらけ泥だらけの湯船に入るこんな人を選ぶ趣味に大ブームは訪れないだろう、という考え方もある。しかし昨今の「ヤマノススメ」や「ゆるキャン」など【女子高生】×【アウトドア】なコンテンツから火がつき裾野人口がどっと増える現象を見ていると杞憂とも言えない。女子高生が野湯にハマるというアニメが出来てしまう可能性はあるだろう。じゃあ今のうちに原作を書いておこうか。作品タイトルは「ユーノーノユ?」(You Know 野湯?)でどうだろう。第1話は長野の湯俣温泉で野湯の素晴らしさに気づく回である。
僕としても野湯の魅力をもっと知ってもらいたい想いはあるが、山に慣れない方が野湯に行くには危険も孕むため、どこまでオープンに伝えてよいかというジレンマもある。野湯探訪という活動を細々と楽しむために先人たちが作った作法?を尊重しながら今後も報告していこう。
(↓弁護士ドットコムニュースでも活動において気をつけていることを話しました)
ではそれにならって今回の「御宝前の湯」の場所をやんわりとお伝えする。
やんわりどころか場所をドーンと出してしまったが、今回はいいのだ。なんせGoogle Mapに載ってしまっているのだから。検索するとピンが刺ささる。こういう場合は隠してもしょうがないだろう。ただ、Google Mapに場所が載っている野湯の中には場所が大きくずれているものもあるので注意してほしい。
御宝前の湯はロープウェイ駅から西、那須岳の主峰である茶臼岳の反対側にあるのでまずは登山道を進みアプローチしていく。
那須岳は栃木だが緯度的には東北に差し掛かっていて、岩石質なこともありロープウェイを降りたところですでに森林限界に達している。
ある高度を超えると高木が生育できなくなる、この「森林限界」というのは上の写真のようにグラデーション的ではっきりとしたラインは見えないことが多いのだが、那須岳では多くの場所で非常にくっきり存在している。
本当に森林限界ラインが目に見えるかのようなくっきりした植生ぶりだ。植物的に「ここから先は無理!」という何かがあるのだろうか。そんなくっきり森林限界を楽しみながら歩いて茶臼岳の裏側にやってきた。紅葉シーズンに特に美しいことが知られる姥ヶ平(うばがだいら)というポイントである。
夏は夏で美しい。そんな姥ヶ平でこんな石像を見つけた。
こんな怖いお地蔵さまおるかね?と思い調べたところ地蔵ではなく「脱衣婆(だつえば)」。三途の川のほとりで亡者の衣服を剥ぎ取るあの脱布婆だ。どうりで仏側の関係者な表情をしていない。「姥ヶ平」という名前もこの姥からきているようだ。火山や温泉地には「○○地獄」「三途の川」「賽の河原」など死後関連のワードがついた地名が多いが、この場所もその1つだろうか。後でネットで調べると、像の裏には「安永六年」(1777年)という文字が掘ってあるそうで、その時期に作られたものではないかとされている。歴史ある怖い石像である。しかし山での安全を祈願して地蔵を祀るなら分かるが脱衣婆の像を作ってここに祀っておこう、というのはどういう心境なのだろうか。素通りすべきなのか、手を合わせるべきなのか…。
さて、いよいよ御宝前の湯に近づいてきたがここで一度脱線したい。
「森永ラムネ」はタピオカから出来ている
山歩きには「行動食」という考え方がある。ゆっくり休んでとる食事以外にも短時間の休憩で立ったまま、または歩きながら食べられる簡易的な食料のことで消費エネルギー量の多い登山には必携である。片手で食べられて嵩張らなくて、なおかつカロリーが高いものがいい。スニッカーズとか羊羹とかドライフルーツとか。山を登る人それぞれに自分に合う行動食があり、個性が出るところでもある。では僕の行動食はというと、これだ。
子どもの頃から、もうかれこれ30年食べ続けている大好きなお菓子でもある「森永ラムネ」。片手で食べられる、コンパクト、安い、どこでも手に入る、素早くエネルギーとなるブドウ糖が90%という圧倒的シンプルさ、どれを取っても優れている。
チョコのように夏場に融けることもないし、直接手で触ることなく食べられるので手が汚れがちな山行中いつでも食べられる。何より脳に直接届いているようなあの味は疲れている時に意識もシャキっとさせてくれる。ブドウ糖の効果だろうか。唯一の欠点は行動食としては1本29gで108kcalとカロリーが低いことだが、それには目をつぶろう。その点も山以外では長所である。いつもザックを選ぶ時にはウエストベルトにポケットが着いているタイプを選ぶようにしているのだが、それはここに森永ラムネを入れるためなのだ。
そんなマイフェイバリットな行動食・森永ラムネだが、昨年パッケージを見つめているとある不思議な文言に気がついた。
30年付き合ってきて初めて気づいたが、お前タピオカと関わりのある商品だったのか…。という感慨で口元がほころんだがそれも束の間、僕の顔からは笑みが消えた。
「タピオカでん粉」とは一体なんだろうか?
まず、タピオカの原材料は「キャッサバ」という芋である。タピオカはキャッサバ芋から取られたでん粉から作られている、この事実はタピオカブームによって多くの人が知ることとなった。そう考えると森永ラムネに使われている「タピオカでん粉」というのは「キャッサバ芋でん粉」のことで間違いないだろう。
そうなると、タピオカの原材料名も同じく「タピオカでん粉」ということになる。検証のためamazonでタピオカを購入してみたが、やはりそう書いてあった。
いや、タピオカの原料がタピオカでん粉!?ふつう、原材料がまずあってそれを使った製品があるわけで葛(原材料)→葛きり(製品)と原材料名に製品名が引っ張られる。しかしこれだとタピオカでん粉(原材料)→タピオカ(製品)と先に存在していたはずの原材料の名前が後発の製品の名前に引っ張られている。この”タピオカルール”だと牛乳のことを「バター汁」、スケトウダラのことを「フィレオフィッシュ・フィッシュ」と呼ぶことになってしまう。完全に主従関係が逆転してしまっている。なんか混乱してきた。
ただ冷静に考えてみれば原材料名が製品に引っ張られている例は他にもあって「アブラナ」なんてそうじゃないだろうか。 「アブラナ(原材料)」→「油(製品)」と原材料である植物の名前(アブラナ)がそこから作られる加工品(アブラ)の名前に引っ張られている。なんだ、勝手に混乱してしまったが他にも全く無いわけではないようだ。この主従関係が逆転したネーミングの食べ物を「あべこべ食材」と名付けることにしよう。
いやいや、待てよ。タピオカの場合は他とは違うのでは無いだろうか。タピオカ以外の製品(食用油・コーヒーなど)は人々の生活に強く結びついてきた歴史のある重要な食品なので主従があべこべでも納得できる。しかしタピオカにその資格があるだろうか。いや、ない。お前そんなに歴史ないだろ、絶対。
もっと言えば食用油・コーヒーでは原材料植物そのものの名前が製品名に引っ張られた名前になっているがタピオカはそうなっていない。タピオカの原材料植物が「タピオカ芋」ならまだ分かるが実際は「キャッサバ」なのである。植物の名前が「キャッサバ」なのであれば、そこから取れるでん粉はふつうに考えて「キャッサバでん粉」とやはり呼ぶべきでそれが「タピオカでん粉」というのはもうルール無用過ぎる。
そんなよく分からなくなってきたところである文章が目に入ってきた。wikipediaの「タピオカ」の項目にはこう書いてあるのだ。
「タピオカ」は「キャッサバから取られたでん粉」のことだと書いてある。
・・・ええ!?
まだ粉のままの状態がタピオカなの?wikipediaをよく読むと、我々が「タピオカ」として知るあの黒とか白とかの丸い玉の製品は「タピオカパール」という名前らしい。タピオカって製品名じゃなくて原材料名なのか!
なるほど。
それにしても、ラムネやタピオカパールに書かれている原材料名「タピオカでん粉」という表記は謎だ。タピオカが「キャッサバでん粉」を意味するのだとすると「タピオカでん粉」を因数分解すると「キャッサバでん粉でん粉」となる。意味が重複している。原材料名としての正式名称なのに「腹痛が痛い」的な誤った表現なのだ。
いや、何の話だ。
そろそろ御宝前の湯への旅に戻ろう。
地獄の藪漕ぎから幻想の湯船へ
登山道を歩きいよいよ目的の御宝前の湯まで近いところにやってきた。ここから道を外れて進んで行くが、情報によれば手強い藪が続くらしい。距離的にはあと1割以下の行程しか残ってないのだが、体力的にはまだ半分、精神的にはまだ9割が残っている。ここからが本番である。
ちなみに今回は藪を突っ切ろうとしているが、御宝前の湯を目指す人の多くはこのルートを選んでいない。(レポートを見る限り)。御宝前の湯からは温泉が湧き出て沢となって流れ出しているので、その沢を下流から辿るるようなルートがありそちらが主流のようだ。ただ、そちらのルートの起点は自家用車でのアプローチを前提とした位置にあるので使用しなかった。それは僕が少ない野湯愛好家の中で特にマイノリティな公共交通機関使用勢なためだ。そうでない人は沢を辿るルートで行ったほうがいいかもしれない。
グローブ&マスクでさらに肌をガードし、靴ひもを再チェック。靴の結び目に藪がひっかかってほどけると厄介なので余った靴紐をもう一度結んで処理しておく。準備を整え道を外れると最初だけ木々の合間を縫うように進めたが、すぐに強烈な藪にぶつかった。
ここからは藪の生え方を見て出来るだけ目の荒い部分、生え方に逆らわない方向を選び進んでいく。藪の中を進むのは手の動作から例えて『藪こぎ』と言われるが、このレベルの藪だと脳裏に浮かぶのは水面を滑るように進むボートのパドリングではなく、ゴリゴリ氷を砕き押し進む砕氷船である。『藪タックル』のほうが感覚として正しい。時には匍匐でスパイのように藪の生え際をすり抜けて進んでいく。
ほぼ止まっているようなスピードだが、20分ほど進んだ。これは私見だが、ひどい藪の中での20minは日常生活100min分の濃度がある。つまり実際には20分ほどだったが体感的には1時間40分くらいに感じられた。嫌なパターンの精神と時の部屋である。
そんな時、藪に透けて開けた場所が見えた。周囲に木々が鬱蒼と生い茂る中、ポカンと山の中に現れた空間は源泉とそこから流れ出す湯が斜面にこんもりとした丘を作り上げている。これが御宝前の湯だ。
今までに見たどの野湯とも違うタイプだ。大抵の野湯は森の一部のように溶け込みひっそりと存在しているが、御宝前の湯の場合は森の中に突然この空間が現れ、何というか神々しさを感じさせる。
そもそも「御宝前」とは何だろうか。読みは「おたからまえ」ではなく「ごほうぜん」と読む。意味は「神仏の前」だ。お寺で言えば賽銭箱の前の手を合わせてお参りをする場所を指す言葉。神々しい気がするのではなく、実際に神前なのだ。
昔、この那須岳一帯は山岳信仰の霊場として栄えており修験者らは数十カ所の拝所を巡る登拝を行っていた。その中でも特に”御神体”として祀られていたのがこの御宝前の湯である。今やその信仰は途絶えているが、相変わらずこの場所はどこか特別な空気を纏っている。
おそらく鉄分が多く含まれているのだろうが、この赤茶色の堆積物が重なり地面は非常に柔らかく、あまり内側に入ると足が沈み込む。あまり動き回らない方がいいだろう。そして源泉地にはよく見られるが、赤茶色の中に差し色としてある藻の緑がよく映えて美しい。
さあいよいよ入浴しよう!
こんなとんでもない場所にある御宝前の湯だが、湯船はしっかりしている。夏期には一定数の訪問者がいるのだろう。この日は8月後半。おそらく居たであろう先人のおかげで湯船を整えることなく入浴することができる。ありがとうございます。
湯船に足を踏み入れると、ほんのりとした温かさを感じる。真夏のプールくらいの温度なのでお風呂としてはぬるいがこの季節に入るには上々である。湯船の周りは非常にぐずぐずした泥で覆われているが湯船の底はしっかりしていて快適だ。入ると泥だらけになる野湯にばかり入っていると、こんなちょっとしたことに幸せを感じるようになる。温泉版・THE虎舞竜である。
湯温もあいまっていつまでも入っていられる心地よさだ。腰が重いのはもう一度あの地獄の藪漕ぎを、しかも今度は上りで進まなければならない気の重さが影響している。ただそれも1年前の郭公温泉の藪漕ぎに比べれば距離も時間もまだマシだと思える。あの藪漕ぎが心を強くしてくれていたようだ。そろそろ湯から上がろう。
本当はここから少し下流に行くと「両部の滝温泉」という温泉の流れる滝がある。温泉滝にはまだ入ったことがないので非常に興味があるが、源泉がこの温度だとするとさらに沢の水が混じり合った下流ではもっと温度が低いだろう。それに今日はこのあと目的地が実はもう1つある。終バスの時間も気にしないとならないので今回はパスしよう。
もう1つの目的地とは茶臼岳のさらに北側に位置する三斗小屋温泉である。三斗小屋温泉温泉は那須温泉を構成する湯の1つだが、いわゆる温泉街ではなく山小屋。歩いてしかアクセスすることのできない秘湯である。
宿泊施設の管理する湯なので野湯ではないが、非常にオープンな混浴露天風呂がここにはある。山に登って入る温泉として登山界隈では非常に名の知れた温泉だ。ただ、それだけなら野湯である両部の滝温泉を差し置いて向かったりはしない。なぜかというと、通常この温泉に入れるのは宿泊者だけで宿泊をしないと入れないのだが、今シーズンに限って日帰り湯が開放されているというのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
三斗小屋温泉に行く前にすぐ近くにある温泉神社に寄ってみた。以前、塩原の山奥でたまたま寄った温泉神社がものすごい迫力で度肝を抜かれてから、それ以来「山奥の温泉神社」への期待感がすごいのだ。
さすがに塩原のものは特別な例なんだろうとは思いつつも温泉神社のある階段を上り、中を覗き込んだ。
鬼の作り込み!!緻密すぎる装飾である。あの手前の龍の柱どうなってんの!?例えとしてあまり正しくない気がするが、中国の職人が作るスイカの飾り切りを思わせる精細さ。あまり神社で見ない豪華絢爛さというか。山奥に突然あるというギャップがまたいい。この本殿は外側の新しい建物に保護されており近くで見ることは叶わないのだが、この距離からでも十分に心を引き寄せられるものだった。非常に良いものを見れた!
さて、興奮冷めやらぬまま温泉神社から降りて三斗小屋温泉に到着。
この三斗小屋温泉には煙草屋旅館と大黒屋という2つの宿がある。大黒屋は旅館的で煙草屋は山小屋的と聞く。ちなみに「煙草屋」という屋号だが全館禁煙である。今回入る露天風呂は煙草屋旅館にある。
そう、案内にも書いてあるが今シーズン日帰り湯として露天風呂が開放されているのはコロナ禍によるものだ。「今期だけ?コロナのおかげ?」と明るく書いてあるがコロナ禍は山小屋にも大きな影響を及ぼしている。小屋の方に料金を払いがてら軽く話を聞いた。
僕「ロープウェイには結構普通に人がいましたが、やっぱり例年に比べると少ないんですか?」
煙草屋「登山客はそこそこ戻ってきましたが、泊まろうという人は少ないですね」
確かに普通の宿とは違って山小屋では他の人との相部屋が前提である。密を避けて山に来る人は多いが宿泊となると今は心理的にハードルがある。登山客で賑わう山頂付近を見て山界隈の経済の回り具合に少し安心していたが、山小屋は麓の宿よりずっと影響が厳しいのかもしれない。確かにこの日、まだ時間的に早かったのもあるがテント泊の大学生以外には宿泊客らしき人は見られなかった。応援の意をこめつつ、ありがたく露天風呂を頂こう。
露天風呂は建物から少し上に登ったところにある。早る心で石段を登ると突如として湯船が現れた。通常の露天風呂のように脱衣所が手前にあるわけではなく、階段登ったらすぐ湯船である。
湯船には先客のおじさんが2人いた。おそらく地元の方で慣れた様子の仲良し2人組である。服を脱いでいるとこう聞かれた。「どこから来たの?」
山登りをしない方にはこの質問、ノータイムで自分の住んでいる地域(都道府県・街)を答えるだろう。しかし山に登っているとそれが正しいとは限らないことに気が付くはずだ。
僕は一瞬思案してこう答えた「ロープウェイ駅からです」。
おじさん「そうですか。人は多かったですか?」
会話がスムーズに続いた。正解だったのだ。これは山あるあるだが、山で聞かれる「どこから?」はホームタウンを聞いている場合と登ってきた「登山口」を聞いている場合がある。むしろ後者のことの方が多いのではないだろうか。有名な山の場合は色々なところから登山客がやってくるので判断が難しいが、那須岳の登山ルート数が多いこと、そして相手のおじさんの玄人感を察して「登山口」を答えた。危ないところだった。おじさん二人組はもう出るところだったようで、露天風呂は貸切状態となりカメラを回すことができた。さあ入浴しよう。
足をつけると体感的には40℃ちょっと。疲れた体にしみる非常に良い湯加減である。何よりこの開放感。那須の山々を一望することができる素晴らしい眺めである。宿泊して夜に入ると星空も最高だろう。
そこから茶臼岳山頂を経てロープウェイ駅に戻り今回の野湯探訪は終了。満足度の高い山行だった。次回は続けて栃木県・奥鬼怒の川俣温泉の野湯を報告します。
↓【今回のダイジェスト】↓