「野湯に入浴する幸福の大きさ」(H)を求める方程式は以下の2次方程式で表すことができることをご存知だろうか。
H=(y^2)-(42-x)^2+z
x=湯温(℃) , y=自然度 , z=到達困難度 である。
※ただしxは【0~46】の間の値のみで成立する
分かりやすくそれぞれの代数にするとこうなる。
つまり「野湯がどのような環境にあるか(自然度)」と「温度のちょうど良さ(湯温)」が2大要素で、そこに「野湯に到達するための大変さ(到達困難度)」が関わってくる。実は幸福度の大きさは湯船の深さや温泉成分の寡多には影響を受けないことが分かるだろう。
『ご存知だろうか』などと書いたが案の定、僕が今考えたものである。なので異論は大いに結構。皆さんが各々の数式で幸福度を求めて欲しい。この数式で何が言いたいかというと、野湯への道のりで味わう苦労は野湯の持つ魅力に対して【-z】ではなく【+z】、つまりプラスに働くということである(主観)。料理に例えるなら「湯温」が素材、「自然度」が料理人の腕、「困難度」がスパイスである。
それでは本題に入ろう。
ヘルニア病み上がり登山
まず向かうのは栃木県・那須岳。ここ数年、毎年訪れては毎回違う野湯に入浴しているほど野湯天国なスポットである。
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その中でも今回目指す「中ノ沢温泉」は那須岳の表玄関となっている登山口からこれまでで最も山深い場所にある。非常にしんどい野湯とも言えるが、山登りもしっかりできて温泉にも入れるので、僕のような登山方面から来た野湯好きには一石二鳥な野湯とも言える。
先に断りを入れておくと、今回の「中ノ沢温泉」の位置は明確には示さない。ネット上にもそれほど多くの情報は出ていないマイナーめな野湯のためそれに倣う意味合いもあるが、もう1つ理由がある。この野湯に最も”素直に”アプローチすると高山植物などが生える保護されたエリアに足を踏み入れかねないからだ。そもそもこの那須エリアは日光国立公園の一部であり、植生への影響を最小限に抑える必要がある。その配慮もあって位置を詳細には載せない方がいいだろう。まあそもそも、そんな気軽に行ける場所でもないのだが。
そんなわけで今回は保護エリアを傷つけることのないよう”素直な”ルートではなく、通常は使われていないと思われる非常にタフなルート取りを計画し那須に向かった。
目的の中ノ沢温泉にはロープウェイで登っても登山口から歩いて登っても所要時間は変わらない。通常そういう場合は登山そのものを楽しむために歩いて登ることを選択していたのだが今回はロープウェイを使用することにした。なぜなら病み上がりだからだ。
近所を散歩している途中に腰の痛みを感じて帰宅後、家で座っていると立てなくなった。それから3時間ほどかけて冷や汗ダラダラで立ち上がるも結局、救急車で運ばれた。コロナ禍において無駄な医療リソースを使わせてしまって申し訳ない。
結果ぎっくり腰でもなく、ヘルニア。幸い軽症(?)で時間経過とともに治るそうだ。僕は山に頻繁には行けないのでこれまではトレーニングを兼ねる意味でも山にはなるべく重い荷物で行ってやろう、という気概でいたがちょっと腰を労らないとならない。
ロープウェイ山頂駅から那須連山の主峰である茶臼岳をぐるっと周り隣の朝日岳へ。まずは約3ヶ月ぶりの登山を楽しもう。
そういえば今年5月の「湯沢には温泉があるに違いない」の回で全国の湯沢や湯沢っぽい名前の川をリストアップしたのだが、今回那須エリアの地形図を眺めていたらもう一本「湯川」という川があることに気がついた。
この湯川の上流には三斗小屋温泉もあるし支流には野湯「御宝前の湯」もある。「湯川」という川名の由来に一点の疑問の余地もない川である。先日のブログにも追加しておいた。これで那須岳だけで3つ目の湯川。半径3kmくらいの範囲に3つの湯川である。那須近辺の川の名付け方のルールどうなってんだ。
温泉へのルートを開拓せよ
そしていよいよ中ノ沢温泉へ本格的なアプローチ。ここからは特に気を引き締めなければならない。野湯を探しに行って何かを傷つけたり遭難してしまい”事件化”することは野湯入浴というアクティビティ全体にマイナスな影響を与えることになる。野湯は静かに行き、そして無事に帰ることが活動の必須条件だ。
歩き始めた笹原は膝上くらいの高さで想定していたより比較的歩きやすい。いや、道もないし笹の密度も濃いので歩きやすいということはないのだが、これまで那須で「郭公温泉」や「御宝前の湯」に向かった時のような圧倒的な”笹の壁”と比べるとクライミングと登り坂くらいの違いがある。
笹の背が低いのはこれまでの那須の野湯とは違って標高1500mを超える高地だからだろうか。かなり困難な道のりを想像していたのでちょっとホッとした。
…のは序盤だけだった。
歩を進めて標高が少し低くなった途端、笹原は笹藪になった。膝の高さをあっという間に超えて背丈ほどに。GPSで現在地を確認しながら体全体で笹を押しのけるようにして進んでいく。笹しかないルートを歩くこと約40分、小さな沢に出た。
沢にぶつかってからはその隙間を利用して進んでいったのだが、なかなか「中ノ沢温泉」を見つけることができない。普段使われることのないルートでアクセスしているだけに手がかりが全くない。目的地はもう近いはずなのだが…。しばらく進むと別の沢との合流地点にぶつかった。このまま下るか、それとももう1つの沢を登り返して探すか。こんな時にドローンは便利だ。木々の合間から上空に飛ばして付近を偵察する。
上流側は木々に阻まれて先まで見えないのだが、少なくとも下流方向はまだまだこの流れが続いているようだ。それはさすがにおかしい。中ノ沢温泉のある標高はなんとなく分かっているのだ。さらに降りて行くのはやはり間違いである可能性が高い。それに合流した沢の方が川の水の色が濃い(上写真 参照)。登山アプリでも地形図をもう一度確認したが、やはり沢筋を1つ間違えていたという判断に至った。しまった。この失敗は反省し次に活かそう。
そんな訳で合流した方の沢を登っていくことに。とはいえ険しい沢をずっと歩ける訳ではなく沢から外れて笹藪を登っていく。先程までは下っていた分、体重を使って笹を押しのけることが出来ていたのだが登りは非常にきつい。しかも長袖長ズボンでマスクを装着しての全身運動。暑い。座る場所なんてないので全力で進んでは立ったまま息を整えて、また全力で進むの繰り返しだ。ただ、登山界にはこういう時に非常に助かるアイテムがある。
「ハイドレーションの水がぬるい」問題の解決法
「ハイドレーション」とは歩きながら簡単に水分補給ができるという道具だ。ザックから水筒を取り出すことなく、背中から伸びたストローを吸うような感じで水を飲むことができる。
普段からザックは必ずサイドに網があるものを選んでそこに水筒を入れて歩きながら出し入れして飲んでいるのだが、夏場は水分補給をより頻繁に行うのでもっと少ない動作で飲みたい。そこでハイドレーションだ。登山界隈では一般的だが、タフな野湯探訪をする方にもオススメな装備である。ただハイドレーションには致命的な欠点がある。水筒のような保温効果がないのだ。
なので常温の水を飲むことになる。山で贅沢言うなという話だが、やっぱり冷たいものが飲みたい。その方がやる気が出る。そう思い氷をガチガチに入れた氷水をハイドレーションに入れて山に行っている。
しかし、である。こうやってもなぜか飲み口から出てくる水が毎回ぬるいのだ。もう氷が溶けてしまったのか、と確認してみてもまだ中身は氷でキンキン。何が起こっているのかはすぐ分かった。毎回、管の中に残ったぬるい水を飲んでしまっているのだ。
ハイドレーションというのは「こまめな水分補給」に威力を発揮するので一度の水分補給では口に水を少し含ませるくらいの少量の水しか僕は吸わない。それが仇となっている。毎回毎回、冷たい水袋から管に移動して温まった水を飲んでしまっているのだ。ひどい。逆に言えばこれを応用することで「背中に背負った熱々のみそ汁をいい感じのぬるさに冷ましてから飲める猫舌の人用の”移動式みそ汁サーバー”」が開発できるというポジティブな考え方もある。
でもそれはどうでもいい。最初からぬるいみそ汁を入れておけばいいからだ。長々とハイドレーションについて書いてきたのはこの『ハイドレーションで歩きながらキンキンに冷えた水を飲みたい』という需要に応える解決法を持っているからだ。
それは、ハイドレーションで水を飲んだ後「必ず吹く」こと。
一度ハイドレーションで水を飲むと管の中に水が残ってしまい次に飲む時までに温まってしまう。これが問題なので吹いて水を水袋に戻す。「吹き戻し」という手法である。鍵盤ハーモニカを吹く時のようにプーっと力を入れて空気を吹き込むことで水を押し戻すことができる。これで管の中に水が残らず次に飲むときは水袋からの冷たい水を飲むことができるのだ。メーカーには推奨されていないとは思うが是非試してもらいたい。
森の中に突然現れる地獄地帯
話を戻そう。
そんなハイドレーション術を使いつつ沢を登り返していったのだが登りの藪漕ぎはやはりめちゃくちゃキツい。しかし、そんな時前方に開けた空間が見えてきた。
それまでは深い薮、そして細い沢の流れが続いていたが突然、植物が生えていない大きな空間が現れた。ゴロゴロと転がる岩の表面、そして流れる水は硫黄で白く染まっている。同じ那須エリアの「賽の河原」や「殺生石」と同じように火山性ガスや地熱の影響で木々が生えず荒涼とした風景になっている。いわゆる”地獄地帯”。しかし我々にとっては天国。
間違いなくここが「中ノ沢温泉」である。
やっと到着!!と感慨に浸りながら周囲を見回すとオレンジ色の人影が。なんと、こんな山奥の温泉に先客がいた。間違いなく野湯愛好家の方であろう。
以前この「中ノ沢温泉」には何度か仲間とも来たことがあって今回は1人での再訪とのこと。話を聞くとミウラもInstagramで繋がっている野湯好きの方のお仲間だという。野湯界のコミュニティは狭い。そして何とありがたいことに僕の動画をおそらくYouTubeで見たことがあるという。
そしてもう1つ会話の中に気になる情報が。
オレンジ服の方「それにしてもすごい方向から来ましたね。」
ミウラ「ええ、途中からは沢を遡ってきました。」
オレンジ服の方「沢屋さんはそちらから来ますけど、風呂屋さんは逆から来ますね。」
え!??
”沢屋”というのは沢登りの愛好家のことだが、「風呂屋」という表現は初めて人から耳にした。実は4月のブログで「〇〇屋」という呼び名がかっこいいので野湯好きのことを「風呂屋」と呼ぶのはどうだろう、と自分が新しく提唱したかのようにドヤ顔で書いていた。しかしその方曰く、野湯に入る人のことを「風呂屋」とは呼ぶことがあるそうだ。普通に使われていた。恥ずかしい。「野湯ラー(やとらー)」というパターンもあるらしい。
この方はもう撤収するところ、ということで、どのあたりが中ノ沢温泉の入浴に向いているか現場のコンデイションを教えてもらい別れた。またどこかの野湯でお会いするだろうか。さあ、急いで入浴準備に取りかからなければ。
まだ昼過ぎではあるが沢筋を間違えたことにより事前に予想していた到着時間より1時間ほど遅れていて、帰りのバスに余裕を持って間に合わせるにはもうほとんど滞在時間が残っていないのだ。公共交通機関登山勢はこういう時に不便であるが、撤退を早くし山を降りるのが遅くならないという安全装置的な利点があるとも言えるか。
さあ温泉に入ろう。
今回は行程がタフだっただけに、疲れた体が一気に癒される。冒頭に書いた野湯方程式の「到達困難度」が効いている。ゲームでいえばHPが減っていればいるほど攻撃力が増すアビリティ的なやつだ。効くー。森の中にぽっかりと開く開放的な空間と周囲から地獄のような音をたてて立ち登る蒸気、自然度もハイスコアである。最高の気分。ただ1つ予想外だったのが湯の温度。
肝心な湯温がぬるい。いろんなところで熱湯が湧いているので調整すればいい湯加減にもできるはずだが如何せん今日は時間がない。このままこの温水プールくらいの湯を頂こう。
漂う強い硫黄臭と白濁の湯。施設として成立する以前の原始の温泉の姿を感じながらの入浴。いつも思うが地面から暖かい湯が湧いているというには神秘的な光景である。湯温が湯温だけにいつまでも浸かっていたい気分だ。
行きの苦労どころか、笹藪を登り返しての帰り道さえチャラになる幸福感。冒頭の方程式のように到達までの苦労の分、幸せも大きい。今回もごちそうさまでした。
↓【今回の野湯探訪のダイジェスト】↓